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東京高等裁判所 昭和34年(ネ)1851号 判決 1960年12月22日

控訴人(原告) 桑原きみよ

被控訴人(被告) 千葉県知事

原審 千葉地方昭和三三年(行)第八号(例集一一巻六号101参照)

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人が昭和三十三年一月二十七日別紙目録記載の農地についてなした買収処分が無効であることを確認する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、

被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述および証拠関係は、控訴代理人において、「控訴人は、被控訴人が昭和三十三年一月二十七日に本件買収処分をなすまでは本件農地の所有権を有していたのであるから、同日までは小作人石井源吾より本件土地の小作料の支払を受くべき権利を有していたのである。しかるに被控訴人が本件買収処分において買収の時期を昭和二十二年七月二日と定めたことにより同日から昭和三十三年一月二十七日までの小作料請求権を奪われることになり、控訴人の権利は著しく不当に侵害されることとなる。このような権利侵害を伴う買収処分は憲法第二九条に違反するものであつて、無効である。」と述べた外、原判決事実摘示欄記載(原判決添付目録をふくむ。)のとおりであるから、ここにこれを引用する。

理由

控訴人はかねてから別紙目録記載の土地を所有していたこと、被控訴人は右土地が不在地主の小作地に当る農地として、昭和二十二年七月二日頃、同日を買収の時期とする買収令書を発し、かつその頃右土地を訴外石井源吾に売渡したこと、以上の事実は当事者間に争がない。

当事者間に争のない右事実、並びに成立に争のない甲第一号証、乙第一ないし第五号証、第六号証の一、二、第七ないし第十四号証、原審証人石井源吾の証言、弁論の全趣旨を綜合して認められる本件に関する事実関係は次のとおりである。

一、控訴人は、別紙目録記載の土地(以下本件土地と呼ぶ。)中畑四畝十五歩については、昭和十三年八月十四日に、畑一畝十七歩については昭和十四年七月二十九日に、いずれも売買により、その所有権を取得し、両者については、昭和十三年八月二十五日、後者については昭和十四年七月二十九日それぞれ所有権取得登記を経由した。

二、控訴人は昭和十四年頃から本件土地を石井源吾に小作地として耕作せしめ、昭和十五年三月二十日には昭和十五年から昭和二十年までの小作料として金二百五十円を石井源吾から受け取つた。

三、船橋市農地委員会は、調査の結果、本件土地が土地台帳の地目並びに現状が畑でありかつ石井源吾が耕作している小作地であつて、控訴人の登記簿上の住所が名古屋市千種区千種町元古井三三三番地の一であつたので、昭和二十二年六月七日本件土地を自作農創設特別措置法(以下自創法と呼ぶ。)第三条第一項一号のいわゆる不在地主の所有する小作地にあたるものとし、昭和二十二年七月二日を買収の時期としてこれを買収する旨の農地買収計画を定めたが、買収計画書中に控訴人の住所が登記簿上名古屋市千種区千種町元古井三三三番地の一であつたのに、地番を三〇〇三ノ一と誤つて記載した。

四、船橋市農地委員会は、右買収計画を昭和二十二年六月十六日公告し、同日から同月二十六日まで関係書類を縦覧に供したが控訴人から異議の申立も訴願もされなかつた。

五、千葉県農地委員会は昭和二十二年七月二日船橋市農地委員会の定めた右農地買収計画を承認した。

六、千葉県知事はその頃右買収計画にもとずき本件土地の買収令書を発行したが、右買収令書に記載した控訴人の住所の地番を「三〇〇一番地の一」と誤つたため控訴人に交付することができなかつた。そこで被控訴人千葉県知事(当時の知事は、川口為之助)は自創法第九条第一項但書の規定により昭和二十五年三月四日千葉県報に、本件農地につき、所有者の氏名、住所、本件農地の所在、地番、地目、面積、対価、買収の時期、対価の支払方法及び時期を公告し、もつて控訴人に対する本件土地の買収令書の交付に代えた。

七、被控訴人千葉県知事は、昭和二十二年七月二日附で本件土地を石井源吾に売り渡した。

八、被控訴人千葉県知事(ただし、当時現実に職務を行つたのは、千葉県副知事友納武人)は、その後右買収令書に控訴人の住所の地番を誤記して買収令書の発送、公告がなされたものであることを発見し、公告による買収処分はその効力を生じなかつたものとして、昭和三十三年一月二十五日、前記公告によつてなした本件土地の買収処分を取り消し、その旨を同年一月二十六日控訴人に通知した。

九、被控訴人千葉県知事は、昭和三十三年一月二十七日改めて農地法施行法第二条第一項一号の規定により本件土地を昭和二十二年七月二日を買収の時期として買収する旨の買収令書を発行し、右令書を昭和三十三年一月二十九日控訴人に交付した。

以上のとおりであるがこの事実関係の下で、控訴人は、被控訴人が昭和三十三年一月二十七日に発した買収令書による本件土地の買収処分は、違法であつて当然無効であると主張するので、控訴人が違法であると主張する点について順次これを判断する。

控訴人は、第一に、本件の場合、農地法施行法第二条第一項一号の農地として従前の例により買収するのは違法であると主張する。よつて考えるに、前記昭和二十二年七月頃発行の買収令書を控訴人に交付することができなかつたのは、控訴人の住所の地番を誤記したのによるもので、この誤りがなければ令書の交付はできないことはなかつたものと認められる。そうすると令書の交付に代えてなされた前段認定の公告も、控訴人の正しい住所にあてて令書交付の手続を経ないのにかゝわらず、令書の交付ができないものとして行はれたことに帰するものであつて違法というべきであり、右公告によつて令書の交付に代はる効力を生じたものとみることは困難である。すなわち本件土地の買収については控訴人に対して買収令書の交付もなく、またこれに代はる適法な公告もなく、いまだ買収処分の効力が生じないまゝの状態にあつたものというべきである。被控訴人が前認定のように昭和三十三年一月二十五日、右公告による買収処分を取消したのも、ひつきよう右の公告によつては買収処分の効力を生じなかつたことを明らかにする意味でこれをしたに過ぎないものと解するのが相当である。

そうだとすれば、本件土地は自創法第六条第五項による公告のあつた農地買収計画に係る農地で、農地法施行の時(昭和二十七年十月二十一日)までに買収の効力を生じていないものにほかならず(買収計画中控訴人の住所の地番に誤記のあつたことは前記のとおりであるがこれがために買収計画の効力には影響はないものと解する)、まさしく農地法施行法第二条第一項一号の場合にあたるものというべきである。何となれば、農地の買収計画の公告がなされ、その後の手続が全くなされていない場合と、農地買収計画の公告につゞいてなされた買収処分が前記のような事情のためいまだその効力を生じていなかつた場合とを区別して取り扱うべき合理的根拠を見出し難く、前記法条の「買収の効力を生じていないもの」には、右後者の場合をも包含するものと解するのが、自創法によつて一たん着手された自作農創設の手続を完遂せしめんとする農地法施行法第二条の立法の趣旨に合するものというべきであるからである。それ故本件の場合被控訴人が農地法施行法第二条第一項一号にあたる農地として自創法により改めて前段認定の買収処分をなしたことに何ら違法はなく、この点についての控訴人の主張は理由がない。

控訴人は、第二に、本件農地買収処分において買収の時期を十年以上も前に遡及せしめたことは憲法第二九条に違反して無効であると主張する。

なるほど、本件買収令書(乙第十一号証)記載の買収の時期昭和二十二年七月二日と右買収令書が控訴人に交付された昭和三十三年一月二十九日との間には十年以上の長い間隔の存することは、まさに控訴人主張のとおりであつて、本件弁論の全趣旨に徴すると、右のような事態を招いた所以のものは、被控訴人の方では、昭和二十二年七月頃発行の買収令書の交付に代へてした前記公告により本件土地買収の効力を生じたものとしてそのまゝに経過し、前認定のような手続上の過誤に気付かず、その発見が後れたのによるものであることが認められる。おもうに、当時広汎かつ急速に農地買収の事務を遂行するに際し、数多いものの中には時に誤りの存することを避け得らられないにしても、前認定のような過誤のために買収の効力発生が非常に後れたことははなはだ遺憾とすべきであることに相違ない。

しかしながら、すでに認定したように、本件土地の買収は所轄農地委員会が昭和二十二年六月中に、買収の時期を同年七月二日と定めて樹立、公告した買収計画にもとずいて行はれたものであつて、被控訴人が昭和三十三年一月になつて買収令書を再発行し、これを控訴人に交付したのも、要するに従前の手続上の過誤による瑕疵を是正し、もつて買収処分の効力に疑義なからしめようとする趣旨にほかならないものであつて、決して前記買収計画と無関係に行はれたものでないことは疑を容れない。ところで後の買収令書の交付による買収処分によつて、控訴人がその主張のような損害を被つたかどうかを考えるに、前認定の事実関係からみると、もし控訴人住所の地番について前記のような誤記がなかつたならば、昭和二十二年七月頃に発せられた前の買収令書をその頃控訴人に交付することによつて、もしくは交付することができなかつたにしても交付に代はる公告によつて、夙に買収の効力が発生していたものと推測することができる。すなわち本件土地はいずれにしても前記買収計画に定められた昭和二十二年七月二日を買収の時期として買収される運命にあつたもので、たゞ被控訴人側の手続上の過誤により買収の効力発生が通常の場合に比し、著しく後れたに過ぎない。しかもこれがために控訴人が、通常の経過によつていち早く買収の効力を生じた場合に比べ、小作料その他につき異常な損害を被つたものとは認められない。けだし自創法第六条によつて定められた買収計画にもとづく農地の買収については、買収令書に記載し、もしくは令書の交付に代へて公告した「買収の時期」(それが買収計画に定められた「買収の時期」と同じであることは自創法第九条第一、二項、第六条第五項によつて明らかである)に、当該農地の所有権を政府が取得し、当該農地に関する権利は消滅し、右によつて政府が所有権を取得した農地につきその取得の当時賃借権等があるときは、その取得の時に当該権利を有する者のために従前と同一条件をもつて賃借権等を設定したものとみなされることは、自創法第一二条の規定により明らかであり、この点は買収令書の交付の遅速によつて異なるところはないからである。

これを要するに、本件農地の買収が、前記買収計画にもとずくものである以上、その買収の時期は買収計画に定める昭和二十二年七月二日として買収令書を発するほかなく、買収令書の交付が後れたからといつて、これがため通常の経過の下に過誤なく買収令書の交付ができた場合に比べ、控訴人の財産権を害することが甚大であるとは認めがたいのであるからして、農地法施行前自創法により樹立公告された買収計画にもとずいて、農地法施行後に、同法施行法第二条第一項第一号によつてなされた本件買収処分を、控訴人に与える財産上の損失の点において通常一般の自創法による農地買収の場合と別異に考えなければならないものとはいえない。而して自創法自体が憲法第二九条は違反するものでないことは、既に最高裁判所の判決によつて明らかにされたところであり(最高裁判所昭和二十八年十一月二十五日判決、同年十二月二十三日判決参照)、なお買収の対価については別に農地法施行法第二条第二項、自創法第一四条による訴の道が開かれているのである。結局本件買収令書の再発行およびその交付により買収処分が憲法第二九条に違反し当然無効であるとする控訴人の主張もまた理由がないものとして排斥を免れない。

そうだとすれば本件買収処分が当然無効であるとしてその無効確認を求める控訴人の本訴請求は失当としてこれを棄却すべきである。よつて本件控訴は理由がないものとして棄却すべく、控訴費用は敗訴の当事者たる控訴人の負担たるべきものとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 谷本仙一郎 猪俣幸一 安岡満彦)

(別紙目録省略)

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